essay
生きるとは。

月十五日、梅雨の間の晴れた日、ついさっき一斉に羽化したばかりのうす黄色の赤とんぼの大群に囲まれて、今年も焼畑のための草刈りを始める。
日差しが強くなってくると、とんぼ達は木の陰に隠れるのだろう、全く見えなくなる。
こうして彼らは、二、三日の内に山の上や沢の奥に涼しさを求めて行ってしまう。
そして、そばの収穫のころ、赤くなって大人になって戻って来る。
全く暑い…。この暑さの中での草刈り作業は焼畑の中で最もつらい。
このつらさの中に身をおくと、きまって1967年の夏を思いおこす。

十九才、学生達の戦いの季節がピークを向かえようとする前夜にあたる。

「生きる」って何だろうと疑問が生まれ、この答えを見つける一千キロを歩く旅に出た。
七月十五日、日本橋出発、東海道を京都、大阪へ向けて一日四十キロを歩く。
三日間、水しかのどを通らず、五日目に疲れのピークを迎える。
十八日目に大阪城着、一応の目標、東海道七百キロ完歩。次に琵琶湖の西側を北上し北陸道を富山へ向かう。一日三十キロにペースダウン。この十キロの差は大きい。
東海道は下しか向いて歩けなかったが、少しまわりの景色も見ることが出来る。琵琶湖をすぎ、この峠を越えれば日本海が見える所まで来た。
今日も太陽がじりじりと照りつける。雲一つない深い空、照り返す暑い道、左右から背丈をはるかに超える草が生い茂る。聞こえるのは自分の心臓の音、吐く息の音のみ。風の音さえ聞こえない。ポツッと背中に水滴が、雨かと思い空を見る。なにもない。

の時、「あっそうか、生きるとはこういう事か」突然答えに気づかされた。
答えは、「今、こうしている事が生きているという事」なのだ。
その時は、重い荷物を背負い、誰もいない峠道をじりじりとした太陽を受けて、ひたすら歩いている。この事が生きている事なのだと。
この坂をのぼり切れば求める何かがあるわけではない。ただ夏の静かな日本海が美しく広がっているだけだろう。
求めるものは今なのだから、と気づかされた事を思い出す。

、休憩タイムに木の下で風をうけている。何ものにもかえられない心地よい風を。
この風を受けると、いつ命が途切れても悔いはないと思う。