子供のころ、親に連れられて東金砂神社に二年山に行く。
大みそかの夜にお参りし、正月になったら又お参りする。
一回で二年分のお参りができる。
暗い参道の石段を登って行くと、古い山門が有る。
中には何もなく、まっくらである。
とてもこわい思い出はあるが、
それをだれに聞く事も出来ずにいた。
後年、仁王様は天狗党によって
山門より引きずり出され焼き打ちされ、
薬師堂にあった薬師様は、焼き打ちをおそれた
村人の手によって隠されたと聞いた。
今でも隠れている。
阿佐ヶ谷慈久庵を開店した頃、
この話を頑亭先生に話した。先生は
「あるべき所にあるものがないことを闇といいます」
と答えられた。先生はこの頃、中野の宝仙寺さんへ
寄進する弘法大師坐像を三十数年の研究の末に
脱活乾漆の技法で製作をはじめていたころである。
私からその時、具体的に仏像の製作をお願いした
わけではないけれど、今思えば、その時から
先生の中に、この仁王像と薬師如来像の製作の考えが
生まれていたと気づいた。
そして私も齢を重ね、蕎麦畑を守りたい、
そのためにおいしい蕎麦を作りたいと思う気持ちは
山門の中の闇を取り除きたいと思う事と
同質と気づき、正式にお願いした。
二十五年の月日の中で生まれた仏像と思う。
天の慈悲、地の恵みが
いつまでも全ての物がいただけます様
その慈悲を受けている世の中が
慈愛に満ちたものであります様
まして自分はその心で生きられますように
全ての作物が豊かに実り、
山や里の風景そこで営む人々の居、
美しい景色がいつまでも続きます様に
仁王様の胎内に入った願文より
本来、仁王様のうしろには、仁王様より格の低い
神様や仏様をおまつりします。
今回、金砂神社の宮司様と頑亭先生に
おゆるしをいただき、石臼をおまつりしました。
阿形のうしろに突き臼、吽形のうしろに挽き臼を、
山門の建立時代に合わせ、江戸期のものを。
臼は作物と人の間にあるものです。
食の作り手、食べ手、全ての方に
手を合わせていただけたならと思います。
※仁王様は口を開いている方が「阿形」閉じている方が「吽形」